2013年6月30日日曜日

マカッサルへ行ってよかった

前回のブログを書いた後、急にどうしてもマカッサル国際ライターズ・フェスティバル(MIWF 2013)へ行きたくなり、飛行機のチケットを購入し、6月29日の最終日だけ参加した。やっぱり、マカッサルへ行ってよかった。


午前中参加したセッションでは、3人が「10年後の自分のビッグ・アイディア」というテーマで話をした。ボディ・ショップ・インドネシアのスシ社長は、環境への関心を深め、本当に社会の役に立つビジネスを行いたいと10年前に思い、それを実現させようと努めてきた。

GEインドネシアのアリフ氏は、日頃、無味乾燥で効率性を求められる職場だからこそ、魂を忘れないために、毎週金曜日に、社員がインターネット上に詩を投稿しあう活動を続けている。現場のエンジニアが編み出す珠玉の短い詩に心を打たれた。

オーストラリアから来た詩人であり大学教師でもあるルカ氏は、アボリジニや虐げられた人々が自己のアイデンティティを回復し、尊厳ある生活を取り戻す手段として、詩の活用を進めている。企業内のチームワークを高めるために、詩を作って発表することの効用を熱く語ってくれた。


詩にはそんな力があるのか、という思いにふけりながら、ふと、故郷・福島のことが頭をよぎった。再生・復興へ向かう福島で、詩の果たす役割がもっとあるのではないか。福島を忘れないことを目的に詩を綴り続ける和合亮一氏や、小学校からの詩作活動を長年にわたって進めている「青い窓」という運動。福島にはたくさんの有名無名・老若男女の詩人がいるのだ。

午後は、「植えること、書くこと」というセッションに出席した。午前中も話を聞いたボディ・ショップ・インドネシアのスシ社長、自然と人間との共生について現実に即して書いた本の執筆者のポール氏、都市生活者が身の回りで植物・作物を植える活動を進める「植えるインドネシア」の地方支部「植えるマカッサル」に関わる大学生のシーファ氏、の3人が発表した。


セッションでは、友人で司会者のイダ氏から私もコメントを求められ、日本で都市の若者たちで農村へ向かう動きがあること、震災などを経て自分たちの「生きる力」を得るために農業が見直されていること、植えるという行為はすでに国境を越えて世界中に広がっていること、などを話した。

会場の外では、「植えるマカッサル」がペットボトルを切ってそこにホウレンソウなどの苗を植えたコーナーもあり、参加者が自分のツイッター名をつけ、その成長記録をツイートする、という試みも行われていた。この苗が大きくなったら、畑地に移植するのである。植えることが書くことにつながる、という試みでもある。


マカッサル国際ライターズ・フェスティバルは6月25日から開催され、29日夜がフィナーレ。いつものごとく、開始予定時刻の午後6時半から大幅に遅れ、午後8時半ごろから開始した。友人のリリ・ユリアンティ氏が主催者を代表して述べた挨拶は素晴らしかった。

デモなどマイナスイメージでメディアに取り上げられるマカッサルで、実はこのような創発イベントが行われていることを皆でツイッターやFBでどんどんゲリラ的に発信しよう。このイベントは国際的であると同時に、マカッサルのアイデンティティを深める意味も持っている。誰にでも開かれていて、若い参加者がどんどん増えている。もっともっと、皆でこのイベントを盛り上げて、世界中のライターが集い、マカッサルがより輝けるようなイベントにしてきたい、と。

リリ氏の圧倒的なスピーチの後、インドネシア東部地域の若い詩人たち5名が次々に詩の朗読をした。まだ20~30代の若者たちが生き生きと自分の言葉で詩を読み上げる。その勢いと若々しさがとてもまぶしく、インドネシアの未来、とくにインドネシア東部地域の未来を垣間見るような時間だった。

フィナーレの最後は、クリスナ氏による詩の朗読で締めくくり。マカッサルの伝統衣装をまとい、伝統楽器をバックに、熱のこもった朗読のパフォーマンス。マカッサルがうねりとなって、観ている者に押し寄せてくるような、そんな気がした。


マカッサル滞在は実質わずか1日。でも、マカッサル国際ライターズ・ワークショップの最終日に参加しながら、マカッサルの大切な仲間たちに再会できたのは至福の喜びだった。彼らといろいろ話をしながら、自分の心の中に何とも表現できない熱い想いがどんどん溢れてきた。

3月末に借家の契約を終了し、マカッサルに居場所がなくなった。今回は久々にホテルに泊まった。それでも、マカッサルは旅行で訪れる他のインドネシアの都市とは同じではなかった。今、住み始めて3ヵ月のスラバヤとも根本的に何かが違う。

そう、マカッサルはやっぱり、私が帰ってくる、私が本当の自分に戻れる、大事な「故郷」なのだ。改めてそう、深く思えた。

もう一度、マカッサルに住みたい、と心底思った。涙が出てきた。自分の深いところから出てくる涙だった。自分が忘れてはいけない「原点」をもう一度確認したような気がした。

2013年6月27日木曜日

マカッサル国際ライターズ・フェスティバル2013

Makassar International Writers Festival 2013

私のマカッサルのRuma'taの仲間たちが、昨日からマカッサル国際ライターズ・フェスティバル(Makassar International Writers Festival: MIWF 2013)を開催している。

今年でたしか3回目となり、年々、規模も大きくなってきた。今年はずいぶんと協賛企業が増えたようで、資金的にも少し余裕ができた様子である。

最初の頃は、企業回りをして資金提供をお願いしても断られることが多く、かなり苦労していた。きっと、来年、再来年と、軌道に乗るにつれて、運営はよりスムーズに行くようになるだろう。

もともと、バリ島のウブド国際ライターズ・フェスティバルに刺激を受けて始めたものだが、昨年のフェスティバルに行った際、参加者からは、ウブドのよりも参加者間の距離が近く、濃厚な議論ができて有益だった、というコメントを聞いた。たとえ規模が大きくなっても、その良さを活かせるような運営をしていって欲しいものだと思う。

マカッサル国際ライターズ・フェスティバルのウェブサイト(英語)は以下の通り。

 Makassar International Writers Festival 2013: My City My Literature

いまでは、学生デモなど暴力的なイメージで有名になってしまったマカッサルだが、実はこうしたクリエイティブかつ地域文化に根ざした活動がしっかりと根づいてきている。

新しい文化の生まれる場所として、マカッサルがもっと世に知られるようになって欲しいし、そうなっていくことへ自分も関わっていきたいと思っている。

マカッサル国際ライターズ・フェスティバル2013は、6月25日から29日まで。うーん、何とかして行きたい・・・。

2013年6月26日水曜日

石油燃料値上げがようやく実施

先週金曜、インドネシア政府は石油燃料値上げを正式に発表し、土曜日午前零時をもって実施された。プレミアムガソリンがリッター当たり4500ルピアから6500るぴあへ、軽油が4500ルピアから5500ルピアへの値上げである。

たしかに、石油燃料値上げは他の物価上昇へ影響する。すでに、公共交通機関の料金は全国各地で15%程度上昇した。この土日にジャカルタへ出張してスラバヤへ戻ってきたら、スラバヤの空港タクシーの料金が、これまでの87,000ルピアから10,000ルピアへ一気に上がっていた。窓口に手書きで「新料金」と書かれていた。

断食月を前に、便乗値上げが横行することだろう。しかし、これまで何年も石油燃料値上げがなかったにもかかわらず、物価は常に上がり続けてきた。それがなぜか消費者物価上昇率の公式発表数字に反映されてない印象がある。

おそらく、わりと農業生産が好調だったため、消費者物価を支える食料価格が比較的落ち着いた動きをしているためだろう。しかし、輸入製品のあふれる都市部では、物価上昇が抑えられているという実感を得たことはほとんどない。

最低賃金も大幅に上昇する中で、この数年、インドネシアの人々は豊かさを実感しているはずだが、ずっとインドネシアをみてきた身からすると、物価上昇への不満はずっとあったように思える。でも、石油燃料値上げによってそれが国民的反政府運動へ向かう気配はない。

本来もっと早くすべき政策が先延ばしとなり、ようやく今になって実施した、という感じである。将来が見通せるようになったインドネシアは、駄々っ子のような刹那的な反対デモや暴力に訴えなくなって行くプロセスに入ってきたのだろうか。

2013年6月20日木曜日

【お知らせ】インドネシア・ウォッチ講演会(ジャカルタ、スラバヤ)

以下、ジャカルタ(7月3日)及びスラバヤ(7月25日)での私の講演会のお知らせです。なお、下記以外に、シンガポール(7月9日)でも講演を行います。

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JACインドネシア・ウォッチ講演会

政治の季節を迎えたインドネシアの行方
~経済・投資環境の変化へどう対応するか~

年6%台の経済成長を続ける好調なインドネシア経済ですが、ここに来て、国際収支悪化や通貨ルピア安など、新たな懸念材料が現れてきました。また、2014年大統領選挙を控え、その前哨戦である地方首長選挙が各地で実施されるなど、インドネシアは本格的な政治の季節を迎えています。

次期大統領は誰なのか。政治の動きは経済にどんな影響を与えるのか。インドネシア経済はまだ安泰なのか。渋滞やコスト上昇の顕著な首都ジャカルタからスラバヤなど地方都市へ投資は動くのか。

本講演では、インドネシア政治経済の最新情勢を分析しながら、今、インドネシアで起こりつつある経済や投資環境の変化に対して、日本企業がどのように対応していくべきかについて、長年インドネシアをウォッチしてきた講師ならではの見方を皆様に提示いたします。

今回は、下記の通り、ジャカルタ及びスラバヤで開催します。皆様のご参加をお待ちしています。

<講師> 松井和久(JACシニアアドバイザー)

<ジャカルタ>

日時 :2013年7月3日(水)16:30 – 18:30(受付開始 16:00)
場所 :スカイビジネスセンター Menara Cakrawala 19th Flr., Jl. M.H. Thamrin No.9, Jakarta
定員: 60名(定員になり次第、締め切らせていただきます)
参加費: 500,000 ルピア + VAT 10 %

お申し込み方法: 下記をご記入の上、メールにてお申し込みください。
1)会社名 2)氏名および役職 3)メールアドレス 4)電話番号(できれば携帯番号)
申込先: JACビジネスセンター(担当:Tata / 田巻/松井) seminar@jac-bc.co.id

<スラバヤ>

日時 :2013年7月25日(木)16:00 – 18:00(受付開始 15:30)
場所 :Mezzanine Room, Intiland Tower, Jl. Panglima Sudirman 101-103, Surabaya
(建物に入って突き当りを左へ曲がり、右奥の階段を上がった正面の会議室です)
定員: 30名(定員になり次第、締め切らせていただきます)
参加費: 500,000 ルピア + VAT 10 %

お申し込み方法: 下記をご記入の上、メールにてお申し込みください。
1)会社名 2)氏名および役職 3)メールアドレス 4)電話番号(できれば携帯番号)
申込先: JACビジネスセンター・スラバヤ(担当: Yeni [日本語可] / 松井)
      bcsurabaya@jac-bc.co.id


2013年6月16日日曜日

学生と「ハウルの動く城」を観る

6月15日、スラバヤ市内の私立ドクトル・ストモ大学で、日本語科の学生さんと一緒に日本映画を観ながら語り合う会、に行ってきた。

今回、彼らが観たいといってきたのは、宮崎駿監督の「ハウルの動く城」。おっと、これは日本人監督の作った日本映画ではあるが、ストーリーには日本が何も出てこないではないか。この映画を観て日本を語ろうとしているなら、ちょっと認識不足ではないか、などと思いながらも、とにかく出かけてみた。

真面目な日本語科の学生さんなのだ。映画を観る前に、映画の中に出てくる日本語の台詞から単語を抜き出し、その意味を確認している。でも、あまりにも機械的な訳なので、黙ってみていられなくなり、大げさなジェスチャーを交えて、意味を説明してみた。すると、「初めて知りました」という反応で学生の目が輝きだした。あー、彼らは生きた日本語に触れていないのだな、と思った。

いよいよ映画上映。「ハウルの動く城」は前にも何度か観ているが、やはりいいものはいい、という感じがする。ソフィーの声を吹き替え分ける倍賞千恵子はさすがだなと感心しながら観ていたら・・・。

隣のモスクからアザーンが。学生は何の躊躇もなく、キリのいい場面かどうかも何も考えず、映画を途中で止めた。アザーンが終わると、何事もなかったかのように、再び映画を再生した。

映画を観終わった後、学生たちと感想を述べ合った。やはり思った通り、学生たちは表面的なあらすじを追うのに精一杯で、表現の裏にある作者の意図などまでは思いが至らない様子だった。それでも鋭い質問があった。「なぜ、最後は、戦争を終わらせようというハッピーエンドになるのですか」という質問である。たしかに、そこがこの映画のちょっと?マークの部分ではある。

学生たちと一緒に考えてみようということにして、意見を出してもらった。「サリマンの敵国の王子が案山子にされていた魔法が解けてしまったから」とか「対立するどちら側にも立たなかったハウルが生き残ったから」とか、いろんな意見が出た。この点については、私も確たる答えを持っていなかったので、その辺で話を終わらせた。

しばらく映画の議論をインドネシア語で続けた後、学生たちから「日本語で話をしたい」というリクエストがあったので、日本語に切り換えて話を進めようとした。日本語を勉強するインドネシア人の学生からは、もっと日本語で日本人と会話する機会を増やしたい、という希望があったので、これはいい機会だと思った。

しかし、学生たちから日本語での話しかけが出てこないのである。だって、彼らが日本語を話す機会を欲しているんでしょ、と心の中で思いながら。どうやら、ほかの友達の前で、自分が間違った日本語を話しているのを見られたくない、恥ずかしい、という気持ちがある様子である。この辺り、英語で悪戦苦闘している日本の学生にも共通するかも、と思うような態度であった。

我々日本人ネイティブからすると、インドネシア人にとって日本語は外国語なんだから間違って当たり前、恥ずかしく思えるほど日本語はまだできないだろうから、どんどん話してみたらいいのに、と思ってしまう。せっかく、日本人ネイティブと接触できる時間なのに。私としてはちょっと残念だったが、ヒトのことはいえないと思った。

なぜなら、日本人が英語やインドネシア語を学ぶときの態度にも、彼らと同じような部分があるのではないかと思ったからだ。大してできもしないのに、あるいはだからこそ、よそ様にその様子を見せるのがはばかれる、という態度である。日本人の場合には、英語と比べてインドネシア語を下に見たり、あるいはインドネシア(人)を見下しするような態度だと、なおさら、インドネシア語を学ぶという話にはなりにくくなってしまうかもしれない。

それにしても、こんな形の映画鑑賞会で、彼らには何か役に立ったのだろうか。その点については、私はあまり自信がない。でも、時々、こんな会があって、日本語を勉強したいという学生に何かやる気を感じさせるきっかけ作りになるのなら、そのお手伝いは是非したいと思うのである。



2013年6月12日水曜日

好き好んでインドネシアへ来た訳ではない方々へ

昨日、友人と話をしていて気づいたことがある。私のこのブログを読んでいる方々は、ある程度、日本とインドネシアとの関係について、それをどのようにしていったらよいか、考えている人であろう。しかし、今、日本からインドネシアにやって来る方々のなかには、自らのことで頭がいっぱいで、インドネシアのことを考える余裕のない方々もかなりいるのではないか。

好き好んでインドネシアに来た訳ではない、会社の方針で仕方なく来た、という方も少なくないと聞いた。多少言葉は悪いが、「来てやったんだ」という気持ちでインドネシアにおられる方もいるだろう。そして、彼らに対しても、「業績を上げよ」というプレッシャーが日本から矢のように飛んでくる。心静かでいられるわけもなく、イライラせざるを得ないことだろう。

そんな方々は、自分より下のもの、弱いものに対して強い態度を示すことによって、自分の不安定な心持ちやストレスを発散させなければ、やっていけないかのような気持ちに陥る。日系企業であれば、インドネシア人スタッフに対して居丈高に振る舞ったり、見下したりするような場面もあるかもしれない。

インドネシア人スタッフは、表面上はそれに従うかのように振る舞う。「どうしてこの日本人は怒りっぽいのだろう」と疑問に思いつつ。でも、実は内心では、居丈高に振る舞ったり見下したりする日本人を「残念な人」とシニカルに見ている。積極的に彼へ協力はしないが、何らかの危害を加えない限りは、それなりにお付き合いはする。このような表向きと裏の異なる状態がずっと続き、インドネシア人スタッフは、会社への貢献よりも給料を上げてくれることのみを求める方向へ動いていく。いつか爆発しそうな状況を保ちながら。

こうした日本人に、「もっとインドネシアのことを学んだほうがいい」と言っても、なかなか聞き入れられない。ここは他所の国で、日本ではないという基本認識はあっても、「日本」から出られない。「日本」を何とか維持しようとして、居丈高に振る舞ったり見下したりしながら、インドネシア人の日本人への信頼感や尊敬を失わせていく。

そんなことを、友人と話しながら思った。でも、本当にそんな日本人がインドネシアにたくさんいるのだろうか。にわかには信じられないが、日本企業の進出が増えれば増えるほど、そうした日本人が増えてくるということは想像できる。インドネシアについての事前準備なしに来てしまうケースもあるだろうからである。

そうした方々は、おそらく、私のこの拙いブログを読んでいただくことはないのかもしれないし、私の講演やワークショップやニュースレターにも関心を持っていただけないことだろう。いくらこちらから発信しても、そこにはなかなか届かない。こちらの届かないところで、そんな動きが増殖していないことを祈るばかりである。

でも、今からでもかまわないので、もしも、インドネシアのことをもっと知りたい、彼らの本音を知りたい、と思うことがあったら、いつでもいいので、私までコンタクトしてきて欲しい。時間の許す限り、そうした方のところへ飛んでいこうと思う。

2013年6月9日日曜日

ジョブローテーションの誤解

ある日系企業に勤めるインドネシア人の方とたまたま話をする機会があった。聞くと、転職を考えている様子だった。

さらに聞くと、企業のなかでいろいろな部署を数年でどんどん替わっている様子。「自分は仕事ができないから部署を替わらされているのではないか」という本音がホロッとその人の口からこぼれ出た。

話を聞いて、これは典型的なジョブローテーションだと思った。日本の企業では、様々な部署を経験して、会社全体が見渡せ、部署間の有機的関係が理解できる人材を育てるために、ジョブローテーションは普通に行われている。そうだとするならば、その日系企業はその人を管理職候補として育てるために、ジョブローテーションをさせているに違いない。

転職したいと言うその人に、「今までに、仕事がうまくいかなかったり、上司とトラブルになったことがあった?」と優しく問いかけてみた。「そういえば、そんな心当たりはない」という答え。「もしかしたら管理職候補生として期待しているのではないかな?」と続けると、しばらく間が空いた後、ハッと気がついたような表情をして、その人の目が潤んだ。

その人は、ずっと、自分は能力がないから部署をどんどん替えられたのだと信じていた(実際、インドネシアの国内企業ではそんな状況だという話を私は聞いたことがある)。けれども、もしかすると、企業側はそんな風には思っていなかったのかもしれない、ということに気づいた。企業のために役に立っていないと思い込んでいたその人が、実は期待されていたのかもしれない、と思えた瞬間の涙だった。

その人と話をしながら私も気づいた。日系企業で中堅幹部職員の人材育成が難しいという話の原因の一つは、このジョブローテーションの誤解にあるのではないか、と。日系企業側は、日本流にジョブローテーションをしながら幹部候補生に育てようとするが、当人たちにその意図が伝わっておらず、部署を替わるたびに企業から認知されていないという思いを当人たちが持ち、給料以外の評価基準を意識できなくなって、転職へ向かってしまうのではないか、と。

前に会ったインドネシア人の方は、仕事に給料以外の価値観を持っていなかった。果たして、日系企業で働くインドネシア人従業員たちは、自分たちの作っている製品がどのような社会的価値を持ち、いかに重要な仕事をしているのか、という意識を持てているのだろうか。

たとえば、ネジを作る工場で、そのネジがないと二輪車が完成しない重要な部品であること、そうした部品を作っていることを通して、従業員に誇りを持たせる。中堅幹部職員は、重要な役割を果たす現場従業員がいなければ企業や自分の存在が成り立たないことを理解して、従業員を適切な形でリスペクトする。企業や中堅幹部職員は、それを言葉で伝えるのではなく、一生懸命働いて結果を出したときに、従業員にそっと飲み物やスナックを振る舞う。そんな間接的な振る舞いを通じて、従業員たちは「自分たちがきっちりと見られている」「分かってくれている」と自ら認識するだろう。こうした、さりげない対応は、実はインドネシア人(とくにジャワ人)の得意とするところのはずである。

社員を大切にする、というのは、ほとんどの日系企業が日本で行ってきたことである。そして、インドネシアでもまた、社員を大切にしているというメッセージを、さりげない対応を含めながら、シグナルとして発信していくことが重要になると思う。

果たして、ジョブローテーションの誤解が解けた先のインドネシア人の方は、これからどのようになっていくだろうか。「月曜日の朝会で今日の話を仲間にしてみます」といって、その人は去っていった。

2013年6月8日土曜日

【お知らせ】南極星にも連載を開始

インドネシア・ジャカルタで発刊されている日本語情報誌『南極星』。この6月号から「スラバヤからインドネシアを見る」という表題で、短いエッセイの連載を開始した。最新号は、下記よりPDFでダウンロードが可能。

 南極星6月号

現在、筆者が連載中のインドネシアでの日本語媒体は、『アピマガジン』『ニュースネットアジア』『さらさ』『じゃかるた新聞』『南極星』の5つ。スラバヤをテーマにするものが3本あり、書き分けに工夫が必要になっている。しんどいが、またそれも楽しい。

2013年6月7日金曜日

スラバヤの新交通システム計画

ジャカルタでは地下鉄(MRT)建設がいよいよ始まりそうだが、スラバヤでも新交通システムの導入、すなわちモノレールと路面電車の導入へ向けて動き始めた。

スラバヤに来て感じたことの一つは、320万人もの人口を抱えた大都市にもかかわらず、バスや乗合などの公共交通機関が極めて脆弱なことである。もちろん、乗合は何路線もあり、ジョヨボヨ・ターミナルというものもある。しかし、ジャカルタのビスコタ、メトロミニ、コパジャ、ミクロレットのような頻繁に走っている公共交通がほとんどない。バイクと自家用車が圧倒的である。

でも、スラバヤはもともと公共交通機関のあった街なのである。オランダ時代の1925年頃から1975年頃まで、蒸気で走る路面電車と電気で走る路面電車が走っていた。 料金は当時の額で3セン、オート三輪が25セン、タクシーが50センだったという。路面電車はバスに取って代わられた。しかし、そのバスも廃れて、本数が少なくなった。

スラバヤ市の道路延長距離は1426キロメートルで、個人所有二輪車・自動車の台数は2008年の140万9360台から2011年には699万3413台へ急増した。ところが、その一方で、バスの台数は250台から167台へ、乗合の数も5233台から4139台へと大幅に減少している。

当然、道路の渋滞は激しくなってくる。5年以内に、スラバヤの渋滞はジャカルタ並みになるという見方が強い。

そこで、スラバヤ市は、モノレールと路面電車を組み合わせたMRTを導入し、2015年に運転を開始したい意向である。両者の概要は以下の通りである。

<モノレール>(SUROTREM)
延長距離:16.7km
操車場駅:Joyoboyo
停車駅数:29
駅間距離:500-1,000m
年間予想利用客:2793万6900人
投資額:1.2兆ルピア
1車両当たりの最大乗客数:200人
車両編成:2両連結
経済的な料金:8,000-10,000ルピア
住民の支払可能額:6,000-10,000ルピア
車両数:21台

<路面電車>(BOYORAIL)
延長距離:23km
操車場駅:Kenjeren, Joyoboyo
停車駅数:23
駅間距離:500-2,000m
年間予想利用客:4371万7742人
投資額:8.5兆ルピア
1車両当たりの最大乗客数:400人
車両編成:4両連結
経済的な料金:37,000-40,000ルピア
住民の支払可能額:6,000-10,000ルピア
車両数:18台

予想されるのは、建設工事により渋滞がよりひどくなる、ということである。また、公共交通期間に乗り慣れていない人々が、果たして整然と乗り降りできるだろうか、という点も懸念材料である。

そもそも、民間が資金を出さなければ実現しない話だが、本当に資金を出す民間が出てくるのだろうか。実現できたらいいけれど、そう簡単ではないだろう。スラバヤと同時期にモノレール導入を予定していたマカッサル市は最近、計画の延期を発表している。

スラバヤのモノレールと路面電車については、友人のブログに詳しい情報が載っているので、そちらも参照して欲しい。

 スラバヤのトラム(市内電車)のお話 その1
 スラバヤのトラム(市内電車)のお話 その2
 スラバヤのトラム(市内電車)のお話 その3
 スラバヤのトラム(市内電車)のお話 その4
 スラバヤのトラム(市内電車)のお話 その5
 スラバヤにもモノレールだって!!

(参考)TEMPO, 2 Juni 2013.

2013年6月5日水曜日

【お知らせ】インドネシアウォッチなど講演会

年に2回、半年ごとにインドネシアの政治経済の現状分析を行う「インドネシアウォッチ講演会」を開催していますが、今のところ、以下を予定しています。

 ジャカルタ:7月3日(水)16:30〜18:30、JACスカイビジネスセンター
 スラバヤ:7月後半

なお、シンガポールでも7月9日(火)午後、JACシンガポールにて講演会を予定しています。

国際収支や為替軟化など、昨年までとは様相が変わり始めた経済状況をどう捉えるか。2014年総選挙・大統領選挙を控えて、政治の動きが経済にどのような影響を与えてくるのか。投資先としてのインドネシア経済はまだ安泰なのか。

これらの問いに、現状での答えを出すべく、講演会の準備を進めています。参加希望・お問い合わせは、「講演会(ジャカルタ)」「講演会(スラバヤ)」「講演会(シンガポール)」と明記のうえ、matsui@jac-bc.co.idまでお寄せください。

上記以外に、以下でも講演を予定しています。

 東京:7月11日(木)日経BPインドネシアビジネス基礎講座
 広島:7月17日(水)ひろしま産業振興機構講演会
 福山:7月18日(木)ひろしま産業振興機構講演会

7月8〜9日はシンガポール、7月10〜20日は日本、に滞在の予定です。シンガポール、日本にて、インドネシア・ビジネスに関する個別相談をお受けしますので、ご興味のある方は、matsui@jac-bc.co.idまでご連絡ください。


2013年6月2日日曜日

ハイ・アンド・ロー

昨日(6月1日)は、久々にブログ更新やインドネシア語ブログの開設など、けっこう前向きにハイな気分でいられたが、今日は逆に、一気にローな気分で落ち込んでしまった。

友人と楽しく昼食をした後、買い物をし、路上でタクシーを待っていた。ちょっと疲れを感じてボーッと立っているところに、1台の乗合バス(コパジャ)が私の前に停まった。なぜか分からないが、私はコパジャに乗るそぶりをした。判断力が希薄だったのかもしれない。

その時、私の前に誰かが立ち、ふわっと私の肩掛けカバンが上に舞い上がった。そして気が付くと、カバンの左ポケットに入れてあったはずの愛用のデジカメ(リコーCX3)がなくなっていた。コパジャのコンダクターは、「向こうに逃げて行ったやつがいる」と後ろを指差したが、ボーッとした私にはなんだかよく分からない。誰かがいたようには見えなかった。コパジャは走り去っていった。

コパジャのコンダクターが盗んだのではないか。我に返ってよく考えると、おそらくそうなのだ。コパジャの中にデジカメがまだあったかもしれなかった。でも、それを追いかける気力は沸いてこなかった。怒りを感じるよりも、へなへなと茫然自失の状態になった。

幸い、隣のポケットに入れてあった携帯電話も、その他の財布もパスポートもすべて無事だった。

リコーCX3はいいカメラだった。とくに、マクロ撮影に優れていて多用した。でも、このカメラはインドネシアで売られていないし、チャージャーもないし、説明は日本語にしてあるから、きっと、盗人の役に立たずに、捨てられてしまうのだろう。これを運命と受け入れてしまう私は、相当にインドネシア化しているといっていいのだろうか。

数日前のワークショップで撮った参加者との記念写真も、今日の昼食で食べた料理の写真も、すべて消えてしまったのが残念である。昨日は、デジカメを持たずに夕食に出かけたので、今日は持っていこう、と確認して出発したのが、リコーCX3との別れとなってしまった。

何となく、今日はやばいのではないか、と感じていた。そういう時に限って何かが起こるのだ。そう、過去もそうだった。

土日も休まずに、原稿を書き続けたこの数ヵ月、休暇らしい休暇を取っていないし、原稿の締切が次から次に来る生活では、休むわけにもいかない。そういう生活にしたのは自分自身だから、もちろん自己責任。今日の事件は、自業自得というしかない。

楽あれば苦あり。自分がうまくいって得意になっているときほど、細心の注意を払わなければならないのだ。

自分の恥をさらすような話を書いている自分にも嫌気がさすが、ともかく、書かないと何となく落ち着かない気分になってしまったので、こうして恥をさらしてしまった。不愉快な気分にさせてしまったとしたら、大変に申し訳ない。


【お知らせ】スラバヤで日系企業で働くインドネシア人向けワークショップ(6/12)

日系企業で働くインドネシア人スタッフ向けのワークショップは、昨年からジャカルタで開催してきましたが、スラバヤでも、下記の通り、実施することとなりました。

と き: 2013年6月12日(水)10~17時
ところ: Fave Hotel MEX Surabaya (Jl. Pregolan 1-5, Surabaya 60262)
    http://www.favehotels.com/hotellist/eng/13/favehotel-mex-surabaya/local 
講 師:松井和久(JACスラバヤ、シニアアドバイザー)
定 員:30名(定員になり次第、締め切らせていただきます)
参加費:Rp. 800,000+VAT10%(昼食代を含む)

インドネシア人中間管理職・マネージャーを対象に、日本の企業文化の背景や基礎を理解し、日系企業内でのコミュニケーション能力を高めるためのディスカッション・ワークショップです。

まず、参加者のコミュニケーションをめぐる経験をシェアした後、暗黙知をキーワードに、報連相、5S、カイゼンなどを取り上げながら、日本の企業文化の基礎や背景に説明します。その後、参加者の経験をもとにしたロール・プレイを作り、それを演じながら、参加者間の討論や経験交流を通じて、日本人経営者・管理者とより親密なコミュニケーションを実現するための改善提案とアクション・プランを作成します。

<お申し込み方法>
下記をご記入のうえ、メールにて matsui@jac-bc.co.id までお申し込みください。
1)    会社名 2) 参加者名・役職 3) 参加者のメールアドレス 4) 参加者の携帯電話番号

スラバヤでは今回が初めての開催となります。スラバヤ周辺の日系企業の皆様、
御社のスタッフをこの機会に参加させてみてはいかがでしょうか。

多数のご参加をお待ちしております。

なお、ジャカルタでは明日6月3日(月)の後、7月2日(火)にも開催の予定です。

よろしくお願い申し上げます。

2013年6月1日土曜日

インドネシア語版のマイ・ブログ

本日6月1日より、本ブログに加えて、インドネシア語での個人ブログを書き始めた。以前から、インドネシア人の友人に「インドネシア語でブログを書かないのか?」と言われていたこともある。

もっとも、2009年まではインドネシア語ブログ「Kabar dari Daeng KM」というのを書いていた。しかし、長い間、休眠状態となっていた。今回、改めてインドネシア語版ブログを書いてみようと思った次第である。

インドネシア語版新ブログは以下のとおりである。まだ1本、自己紹介しか書いていない。

  Indonesia Campur

Campurというのは、インドネシア語で「混ざる」「混じる」の意味。沖縄料理のチャンプルーや、長崎のチャンポンと同じ意味の言葉である。

インドネシア政治・経済・社会、日本との関係、自分なりに出会った面白いこと、などを自由に、私なりの考えやコメントを付け加えながら、インドネシアの知人・友人たちに投げかけていきたいと思っている。

さっそく、インドネシアの友人たちが「読むよー」と言ってくれている。どんな反応があるか、楽しみである。

インドネシアの人々へ日本を伝える、ということも一つの役目と考えている。日本語での発信に加えて、インドネシア語でも発信していく。

ブログに加えて様々な媒体への原稿執筆で、1週間、毎日締切という状態になるかもしれないが、これも私なりの使命と心得て、チャレンジしていきたい(今日は、1時間ほど昼寝したせいか、ずいぶんと元気になった)。

「笑うな。黙れ」の日本イメージ

人間の本性というのは、意識的に隠すことはできても、無意識に表れてしまうものである。日本という国がいくらよいイメージを作れたとしても、国際会議の場での個人の無意識の態度によって、日本という国の本当の姿が露わになってしまうことになる。

国際会議の場で「笑うな。黙れ」と言った日本人の外交官は、日本という国を背負っていることを忘れたのか、あるいは相当重荷に感じていたのか。下記を参照されたい。

  ‐ 日本の刑事司法は『中世』か

または、無意識のうちに、日本は上、アフリカの小国なんぞは下、という個人の持つ差別意識が思わず無意識のうちに出てしまったのか。相手への尊敬があったのだろうか。

3月にジャカルタで出席した国際会議で、日本の外務省の方がインドネシアとのパートナーシップについて話をされた際に、日本が黒子役となって、一緒に調和のとれた新しいアジア社会を作っていきたいという趣旨のことを発言されていた。韓国や中国の代表が「教えてあげる」という上から目線だったこともあり、「日本は一皮むけて円熟した」と思った。新しい日本のアジア外交が始まる兆候さえ感じた。

それだけに、「笑うな。黙れ」はとても残念でならない。

でも、それは、国際会議での当の日本人外交官個人に帰せられる問題だろうか。

私自身、これまでにそういうことが一度もなかったかといえば自信がない。

たとえば、ずっと昔に、インドネシア語がまだよく話せず、いつもインドネシアの方々に笑われ、間違いを指摘されるたびに、自信をなくしたものだった。とくに小さな子供に笑われたときに、爆発しそうになった。

あるいは、25年以上前、ビザの手続がうまく進まなくて、役所の間違いで誤った書類が国家情報庁へ送られてしまったとき、ビザが更新できないことを恐れて役所へ窮状を訴えた際、笑いながら適当にあしらわれ、怒ってしまったことがあった。

今でも、イライラして、ちょっとしたことで笑われると、ムカッと来ることがないわけではない。

インドネシアの人たちの笑いには、純粋な笑いとともに、自分の不備や能力不足を恥じるのを隠す笑いがある。場が悪いので笑ってごまかす、という感じに近い。硬い頭の自分がそれに対して怒ってしまうのは、その時の自分にゆとりがないからだ、と後で気づくのである。

日本国を代表する外交官の傲慢な態度は、日本という国のイメージをよりよくしようとしている人々への冷水である。しかし、我々外国に住む者もまた、広い意味での「外交官」といってもいいかもしれない。

外交官だけでなく「外交官」の日頃の振る舞いが蓄積されて、日本という国の姿やイメージが残っていくのだろう。もちろん、日本の前に、地球上に生きる一人間としての個々人があるわけだが。

また今日から、「笑うな。黙れ」の日本イメージを払しょくすべく、微力ではあるが、ゆとりをもって接していきたい。