2013年9月27日金曜日

インドネシアでダイビングを思う存分しながら生きていきたい人へ

今朝、あるインドネシア人の知人と朝食をしながら、前々から温めてきた夢の一つを語り合った。それは、インドネシアで、ダイビングを思う存分しながら生きていく、という生き方の選択についてであった。

以前、何かの時に、こんな話を聞いた。夢のような話かもしれないけれど、1年中ダイビングができて、その合間に時々仕事をする、なんていう生き方はできないものか、という話である。本当にそれを実現できないものか、という話をした。

誤解のないように言うが、私自身がそうしたいと思っている訳ではない。

(ワカトビ上空)

その知人が提案してきた内容はこうだ。

・デラワン、アロール、ワカトビ、ラジャ・アンパットなどのダイビングで有名な場所に長期滞在できる、ダイビング免許を持った外国人(できればダイビングを他人に教えられる人)

・メインの仕事は、ダイビングをすること。そして、ダイビングの話やその場所の出来事などを、英語と最低もう一つの外国語で、写真を使って、ブログ、フェイスブック、ツイッターなどへ頻繁に発信する(毎日、または1週間に3~4回、など)こと。

・宿舎や食事、インターネット接続、ダイビングに必要な機材等はそれぞれの場所でインドネシア側が用意する

・ダイビング客をよそから連れてきた場合にはその紹介料が支払われる

・必要に応じて、地元の若者や子供たちにダイビングを教えたり、外国からの客の通訳をしたり、パンフなどの翻訳も行う(それぞれについて謝礼が支払われる)

・毎月、若干の賃金が支払われる(日本円で5万円ぐらいか)

以上のような条件で、インドネシアに住んで、上記のような活動してみたいという人は、いるだろうか。

興味のある方は、私(matsui01@gmail.com)まで、是非ご連絡いただきたい。


2013年9月25日水曜日

【お知らせ】日本人経営者のためのワークショップジャパン・フィードバックセミナー(10/9)

日系企業で働くインドネシア人スタッフは、日本や日本人や日本企業に対してどんな意識を持っているのか。その本音の部分を知ることで、日本側とインドネシア側とのコミュニケーションが大きく改善することが期待できます。

そこで、下記のセミナーを10月9日に開催予定です。私が講師を務めます。ふるって、ご参加ください。

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日本人経営者のための
ワークショップジャパン・フィードバックセミナー


JACインドネシアでは、日系企業で働くインドネシア人管理職・マネージャーを対象に、日系企業内でのコミュニケーション能力を高めるための「ワークショップ・ジャパン」を開催してきました。

「ワークショップ・ジャパン」では、参加者間の討論や経験交流を通じ、親密なコミュニケーションを実現するためにインドネシア側・日本側双方がどのような努力が必要かを考えてきました。そのなかで、インドネシア人側の日本人経営者に対する見方や態度の本音の部分が明らかになり、それを日本人側へフィードバックする必要性を感じました。

本セミナーでは、インドネシア人側が持つ日本人や日系企業へのイメージを示した後、ワークショップ・ジャパンで出された具体的なミスコミュニケーションの事例を取り上げ、インドネシア人側と日本人側との認識の相違を考えます。そして、インドネシア人側から出された日本人経営者側への改善提案をもとに、両者間の良好なコミュニケーションの作り方について、参加者と一緒に考えていきます。皆様のご参加をお待ちしております。

講師  : 松井和久(JACシニアアソシエイト)

日時    : 2013年10月9日(水)17:00 – 19:00(受付開始 16:30)

場所    : スカイビジネスセンター
                Menara Cakrawala 19th Floor., Jl. M.H. Thamrin No.9, Jakarta

参加費:  500,000 ルピア + VAT 10 %

定員: 30名(定員になり次第、締め切らせていただきます)

お申し込み方法: 下記をご記入の上、メールにてお申し込みください。
1)会社名 2)氏名および役職 3)メールアドレス 4)電話番号(できれば携帯番号)
申込先: JACビジネスセンター(担当:田巻) tamaki@jac-bc.co.id または松井(matsui01@gmail.com)まで

なお、当日は、9:30〜16:30に同じ会場で、日系企業で働くインドネシア人スタッフを対象としたコミュニケーション能力養成ワークショップ「ワークショップ・ジャパン」も開催します。参加ご希望のインドネシア人スタッフがおりましたら、上記と同じ要領で、JACビジネスセンター(担当:タタ) tata@jac-bc.co.id または松井(matsui01@gmail.com)までお申し込みください。

2013年9月22日日曜日

「日本」が人々の胃袋の中へ広がる

ジョグジャカルタの「こてこて」と「わざわざ」の話を前回書いた。そこでは、「日本」がインドネシアの若者たちに、肩肘張らずに自然にすんなりと、受け入れられている様子があった。最近の日本からの企業進出、とくに日本というものを意識した日本側からインドネシア側へのアプローチとの対比で、少し考えてみたい。

たとえば、日本からラーメンなどの飲食業の進出がジャカルタやスラバヤなどで見られるようになって久しい。そこでは、多くの場合、日本的なものを前面に出して、日本を売りにするケースがほとんどである。

基本は、日本で食べるのと同じものをインドネシアにも提供したい、という姿勢である。そして、それは日本好きであったり、物珍しさを好むインドネシアの人々に受け入れられていく。在留邦人も、日本食が恋しくなって、そうした店へ出かける。そうして、日本というものがインドネシアへ広がっていく。

一方、「こてこて」や「わざわざ」のように、日本人がほとんど関与せずに、インドネシア側のイニシアティブで、日本人が知らないところで、勝手に「日本」が広まっていく現象がある。彼らのやっていることは、日本人の我々から見れば、日本の真似事に過ぎないかもしれない。「ちょっとそれは違うんじゃないかなあ?」と首をかしげたくなるような面もある。

そうしたビジネスを行っているのは、留学や研修でかつて日本に滞在した経験のある人だったり、アニメやオタク文化に触れて日本にはまってしまった人だったり、あるいは、ちょっとビジネスをするのに「日本」を借りただけの人だったりする。

これら両者の違いは、日本をどう扱っているかである。日本から進出した企業は、日本をインドネシアの中へ持ち込み、その日本たるものを維持することでビジネスを展開させようとする。その際、最初は物珍しさから注目を集めても、すぐにインドネシア側に飽きられてしまう可能性がある。

気をつけないと、「日本のものだから素晴らしいんだ」「どうしてインドネシアの人々はそれを理解してくれないのか」という話に陥りかねない。もちろん、そして利益を上げなければならないというプレッシャーがかかる。

「こてこて」や「わざわざ」は、インドネシアの若者が、日本が好きで勝手に始めたものである。もちろん、利益を上げることが前提だが、日本礼賛!というように力が入っているわけではない。日本をそのまま伝えなければならないという使命感などない。彼らが最もなじむ形で「日本」あるいは「日本的なもの」が受け入れられていく。そこでは、容易にインドネシアやインドネシア的なものと融合していく。当然、日本的なものを求める日本人や日本通の関心の対象にはならない。

しかし、どうやら、我々の目に見えないところで、この「こてこて」「わざわざ」現象は静かに広まっている様子なのである。

昨晩、スラバヤ郊外の住宅地の細い道路を走っていたら、ワルンのような赤ちょうちんを発見。ちょっと覗いてみると、机一つだけの「ラーメン屋」だった。いかにも、インドネシアの方が試しに始めてみたスモール・ビジネスという感じで、日本人の私の眼から見て、どう見ても美味しそうなラーメン屋には見えなかった。機会があれば、今度、取材をかねて、味を試してみたいと思う。

クールジャパンなどを通じて、日本食をビジネスとする日本企業のインドネシア進出を支援することにも意味があるだろう。

それとともに、いやそれ以上に、インドネシアの人々や世界の人々の胃袋に日本食あるいは「日本食」をなじませ、広めていくこと、日本が世界の人々の胃袋から離れられなくなる(する)ことが、日本が世界のなかで生きていくに当たって、とても重要なのではないかと思える。それは、日本企業だけでできる話ではない。「こてこて」や「わざわざ」のような、現地の人々が勝手に広めてこそ、「日本」が人々の胃袋の中に根づいていくのではないか。

こうした、勝手に「日本」を広げていく動き、とくに胃袋を通じて「日本」が広がっていく動きを、我々日本人は、「本物ではない!」などと目くじらを立てずに、温かい目で見守っていきたいものである。

2013年9月18日水曜日

「こてこて」と「わざわざ」

7月に「中小企業海外展開支援プラットフォームコーディネーター」という長い名前の職務を拝命し、日本の中小企業がインドネシアへ進出する際のコンタクトポイント、あるいはすでにインドネシアへ進出した中小企業の相談窓口、のような役割を果たしている。

昨晩から出張でジョグジャカルタに来ているが、今回はそのプラットフォームがらみの仕事である。

仕事の話はちょっと置いておいて、今回、ジョグジャに来てあらためて思うのは、日本というものがジョグジャの風景の中に溶け込み始めているということである。すなわち、日本に留学したり、日本について学んだりした学生たちが、自分のフツーの感覚で、肩ひじ張ることなく、遊び感覚も兼ね備えながら、ちょっとしたビジネスなどを行なっている光景である。

最初は「こてこて」。これは、広島風と大阪風のお好み焼きを出す小さな店である。ワルン・オコノミヤキと称している。注文すると、お兄ちゃんがお好み焼きを焼いてくれる。ムスリムのお客さんを考慮して、すべてがハラル。お好み焼きのソースも、自分たちで工夫してハラルにしている。しかも、小・中・大とサイズの分かれたお好み焼きは、大でもトッピングなしで3万ルピアと手頃な値段だ。これで十分に元が取れているという。

次は「わざわざ」。「こてこて」からすぐのところに、赤いのれんをかけた屋台があった。ガジャマダ大学日本語科の学生?が始めたビジネスで、まさに屋台をイメージして始めたようだ。ご飯に鶏肉または牛肉のそぼろをかけ、お好みで目の前の春巻、チキンカツ、サテ、サラダなどをトッピングする。あれ、これってジャワでよく見かけるワルンやソトアヤム屋と同じシステムではないか。

まさに、「日本」がすんなりと入っているのだ。ジョグジャの持ついい意味での脱力感とともに。

日本とインドネシアの交流イベントを大々的にやるのもよい。でも、ジョグジャカルタの若者たちは自分たちのアイディアとセンスで、日イ友好などと力を入れることなく、楽しみながら「日本」を自然に自分たちの中に取り込んでいる。そんな動きが自然に広がっていくのがいい。日本人は、「本当の日本とは違う」などと目くじらを立てないほうがよい。

夜だったせいもあり、うっかり、写真を撮るのを忘れた。失敗。

2013年9月15日日曜日

スラバヤ郵便局本局

スラバヤには、落ち着いた古い建物がたくさん残っている。時間を見つけて、写真をたくさん撮りたいと思っているが、本当に、どの建物にも歴史を経た風格と何とも言えない風情がある。

先日、スラバヤ郵便局の本局へ行く機会があった。これがなかなかの建物だった。


スラバヤ郵便局の建物はオランダの建築家ボルシウス(G.J.P.M. Bolsius)によって設計され、1926年から1928年にかけて建設された。

この建物が建設する前、この場所にはオランダ人子弟や特定のエリートが通う中等学校(Sekolah HBS, 1881-1926)があり、植民地政庁副総督を務めたファン・モーク(H.J. van Mook)が1906-1913年に、初代インドネシア大統領のスカルノも1916-1923年に通っていたという。


建物だけではない。サービスが実にスムーズだった。入口で番号札を取り、銀行にあるような番号表示板(上写真)を見ながら、後は呼ばれるのを待つだけ。

普通ならば切手、普通郵便、速達、 EMSなどと窓口が分かれているものだが、ここは、どの窓口でもすべてのサービスに対応している。


今回はEMSを出しに行ったのだが、対応していただいた女性職員の方はテキパキとこなし、あっという間にEMSの手続が終わった。

これまでの郵便局での対応とは雲泥の差。インドネシアにおけるこうしたサービスの質が着実に向上しているのか。それとも、スラバヤがそうなのか。

2013年9月12日木曜日

中銀レートは7.25%へ引き上げ

9月12日、中銀理事会は中銀レートを7.25%へ引き上げた。中銀レートは、8月29日の臨時中銀理事会で6.5%から7.0%へ引き上げたばかりである。中銀によれば、インフレ率の抑制、通貨ルピアの安定、経常収支赤字の改善を目的とした措置であり、それは前回から引き続いている。

 中銀による中銀レート引き上げの説明(9月12日、インドネシア語)

おそらく、タイミングを重視したのだろう。筆者は、9月末が一つのヤマになると見ている。2013年第3四半期末に当たるが、通常でも、四半期末にはドル需要が増大し、ルピアは軟化する。インドネシア政府や中銀がルピア防衛に対して毅然たる姿勢を示せなければ、9月末にはさらなるルピアの下落が起こることになる。

8月29日の中銀レート引き上げ後も、ルピアはやや下落傾向を見せているが、市場に大きな混乱をもたらしている様子はあまり見られない。政府は緩やかなルピア安を容認していると受けとめられており、現状でもそれに大きな変更はないと見られるが、何よりも、急激な変化ではなく、ソフトランディング的な展開へ持っていこうという意図が見える。

この度重なる中銀レートの引き上げを受けて、中銀は、2013年のGDP成長率予測を5.8〜6.2%から5.5〜5.9%へと再び下方修正した。同時に、2014年のGDP成長率目標も6.0〜6.4%だったのを5.8〜6.2%へ下方修正した。

雇用機会拡大の観点からすれば、今後、インドネシアでは毎年最低でも6%後半以上、7〜8%の成長が必要となり、5%台の成長では力強さに欠ける。

しかし、現在のアジア経済全体を見ても、5%台後半の経済成長はまずまずの値であり、決して低い数字ではない。経済減速ではあっても、失速ではない。やはり、今年はとくに、耐える経済運営をインドネシア政府は行っていかざるを得ない。

中銀の見通しでは、インフレ率は徐々に落ち着きを見せていくものの、2013年通年では9.0〜9.8%となる見込みである。もっとも、2014年は4.5%前後に落ち着くとしている。

中銀は同時に、金融システムの安定性は維持されていると強調する。2013年7月時点で、CARは最低基準の8%を大きく上回る18%と十分高く、NPLも1.9%と低い。貸付も2013年7月に前年同月比22.3%増、同年8月に同22.0%増と力強い。もっとも、今後、この傾向が維持できるかどうかは予断を許さない。

政府は、中銀と日銀との二国間通貨スワップ協定に基づく最大調達可能額120億ドルを含めた300億ドルの外貨を調達可能とし、それにはチェンマイ・イニシアティブ分は含まれていないと説明している。外貨準備高は現状で輸入の5ヵ月分相当を確保していることも強調し、十分な対策を行っているとアピールしている。

今日の中銀レート7.25%への引き上げは、さらに市場を安心させるためのダメ押し的な効果が期待されるのだろう。

とはいえ、やはり9月後半から月末にかけての動きは、注意深く見ていく必要がある。

2013年9月5日木曜日

「東京は福島から250キロ離れており、安全だ」発言

インドネシアと直接関係ない話で申し訳ない。

2020年の五輪開催都市に立候補している東京。東京電力福島第一原発からの高濃度汚染水の漏洩・海洋排水の問題が世界的に注目されるなかで、当選へ向けてなりふりかまわぬ姿勢を見せた。

東京が安全であることをアピールするため、「東京は福島から250キロ離れており、安全だ」とプレゼンしたと報じられている。筆者は、科学的な安全性について、客観的にみて、本当に東京が安全なのかを判断する確かな知識を持ち合わせているわけではないので、安全かどうかを問題にすることはしない。

しかし、この発言は、「福島は安全でない」と言ったに等しい。どうしても何かこの種のことを言いたいならば、「(問題となっている)東京電力福島第一原発は東京から250キロ離れており」と言うべきであった。「福島」は福島県全体なのか、他都市よりもまだ相対的に線量の高い福島市なのか。東京並みかそれ以下の線量の会津地方やいわき市周辺も含むのか。この発言からすると、「福島は安全ではない」と受けとめられることになる。

これこそが、いわゆる風評というものではないか。発言者の繊細さに欠ける用語使いで、どんなに印象が変わるか。

この発言を聞いてすぐに思い出したのは、東京の発展を電力で支えてきた福島の歴史だった。奥会津・只見川の電源開発で、巨大水力発電所が建設され、その後、浜通りの相双地区に何基もの原子力発電所が「福島」という名前の下に建設された。それを担ったのは東京電力であり、それらの場所で作られた電気はすべて東京首都圏へ送電された。福島県内の電力は、東北電力による発電所から送電されたのである。

そもそも論として、なぜ東京への電力を福島県に作ったのか。只見川電源開発は、そこに豊富な水資源があったから、という理由で容易に納得できる。

他方、浜通りの 原子力発電所は、そこにウランがあったからではなかった。東京にもっと近いところに作ればいいものを、わざわざ送電コストをかけて流す選択をした。そして、2011年3月に事故が起こって、東京から離れたところに建設した理由が眼前に現れてしまった。やっぱり、実は、最初から「危ない」と分かっていたのである。

「危ない」と言っていたのではどこにも建設できないから、過疎で出稼ぎに頼る貧しかった相双地区が注目され、人口の多い東京首都圏で何か起こるのに比べれば、影響は少ないと勝手に判断され、多額の資金供与を見返りとして、原発が建設されたのである。もしかしたらそこの人々は「騙されている」と分かっていたのかもしれない。でも、生きていかなければならなかった。東京の人たちのような豊かな生活をおくる権利もあるはず。彼らを「金の亡者」と一律に非難するのは難しい。

そして事故が起き、改めて「騙された」ことに気がついたが、それと引き替えに手に入れた自分たちのより良い生活を否定することはできない。けれども、あえて「騙される」ことを選択したことで、間接的にではあっても、事故に荷担してしまった罪悪感が人々の心の一番の奥底でうごめいていることは想像に難くない。単純に「原発反対」などと声を上げられない複雑な気持ち、しかしそれはなかなか理解してはもらえないだろう。

東京オリンピックは、そんな人々を励まし、勇気づけ、復興へ向けて前向きの気持ちにさせる機会になる、と信じて旗を振る人々がいる。たとえ、打ち上げ花火のようなはかないものだとしても、何もないよりは、一時的に気分を高揚できる機会になるかもしれない。何かそれが決定的に復興を継続的に進めていくエネルギーになるとは思えないけれども。線量を気にし、食の安全にピリピリした、日々の生活で精一杯の福島の人々にとって、東京オリンピックとはその程度の位置づけでしかない。

でも、「東京は福島から250キロ離れており、安全だ」という発言がすべてを台無しにした。東京オリンピックが福島の復興のためなんて、嘘だということが明らかになってしまった。東京は福島とは違う世界にあり、東京でオリンピックをやっても、福島の影響は何もない、ということだ。それをいうなら、東京よりも遠い、福岡や鹿児島でやったほうがいいではないか。東京だけでオリンピックをやれればよいのか。

東京首都圏の発展を支えた電力の源の多くが福島県からだったという事実、その見返りは刹那的なカネでしかなかったのか。東京は福島を見ていない。同情はしているかもしれないが、ともに歩んでいこうという姿勢はない。むしろ、東京オリンピックの実現には迷惑な存在と思っているかもしれない。

もっとも、東京オリンピック云々の話題が出たからこそ、世界中のメディアが注目するなかで、東京電力福島第一原発で今本当は何が起こっているかを、東電が騙し続けられない状況が生まれたという面もある。東京オリンピックが実現することで、東京電力福島第一原発の廃炉処理が本当に実質的に進むのならば、それはありがたいことではあるが、そのような説明は政府からも東京都からも東電からも聞こえてこない。

2013年9月4日水曜日

アソシエイトへ変更

本日(9月4日)より、所属先との契約関係を変更しました。基本的に、社員というよりも協力者(アソシエイト)という相対的にゆるいステータスへ変更となりました。

身分や収入はこれまでよりもやや不安定になりますが、自分をより主体化させて動くことができるようになります。私自身の名前で仕事をしていく、という要素が強くできるようになり、所属先を通さずに、直接、仕事を受けることも可能になりました。

これに伴い、これまで使ってきた所属先の名前でのメールアドレス(matsui@jac-bc.co.id)は使用しないことになりました。今後は、matsui01@gmail.com で一本化していきますので、何かあればこちらへご連絡いただければ幸いです。

やりたいことは色々あります。そして、ブログ、ツイッター、フェイスブックなどを通じた発信は、積極的に行っていきたいと思っています。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。